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3 節操の無さ
 ルーマニアの人達をこよなく愛する私ではありますが、小国の悲しさ、良く言えば機を見て敏、悪く言えば節操が無い国民性をもった人達でもあります。
 ハンガリー動乱の時はいち早くソ連に忠誠を誓い、プラハの春ではソ連を批判し西側諸国の喝采を受けるといった事は時代の流れから多少は納得がいきますが、第一次・第二次大戦双方でルーマニアは寝返りをしております。第二次大戦の時は、ルーマニアはハンガリーやブルガリアと共に日独伊三国同盟の一員でした。アントネスク将軍が率いるファシスト党の鉄衛団が組織され、大勢のドイツ系ルーマニア人はナチス・ドイツ軍に志願し、ヒットラーとの連携を強化し、スターリングラード攻防戦ではドイツ3軍と共にルーマニアは20個師団を派遣して参戦しております。ところが1944年にドイツの敗色が濃いと見るや、連合国側に寝返ります。ユダヤ人の虐殺をしたのはナチスですが、それに加担したのはポーランド、チェコ、ルーマニア人だったことは余り知られていません。
「シンドラーのリスト」という映画で、アウシュビッツに汽車で送られるユダヤ人に対しポーランドの普通の農民が首を切るまねをして冷笑している場面があります。この地域ではユダヤ人は不在地主・金貸しとして人々を搾取した歴史的事実や宗教的な感情から反ユダヤの感情が強いところです。東西冷戦終了後ポーランドや旧東欧諸国ではユダヤ人虐殺に自ら加担した事実が国内で大きな論議になっています。
 リトアニア領事の時に、多くのユダヤ人にビザを発行して命を救ったことで有名な杉原千畝氏はそのあと、ブカレストの日本領事館勤務になります。ちょうどその時にルーマニアは連合国側に寝返り、杉原氏の奥さんがドイツ軍と共に逃避行を体験しました。杉原夫人の手記には逃避行の時に自らの命を投げ打って命を助けてくれた若きドイツ軍将校のことが描かれています。
 ソフィア・ローレンが主演した「ひまわり」という映画を覚えておられるでしょうか。あの映画は実際にルーマニアでロケが行われました。ルーマニアはひまわり畑がワラキア地方を中心に各所に広がっており、夏になると地平線の彼方までひまわりが咲き極めて美しい風景が出現します。あの映画ではマストロヤンニの扮する恋人がソ連の前線に行ってしまい戦争が終わっても待てど暮らせど帰ってこないので探しにいったら愛する人はロシアの女性と結婚していた、といった映画ですが、ルーマニアでも同じような悲劇が数多くあり、日本兵やドイツ兵のシベリア抑留と同じような悲哀を味わっております。ルーマニア人の節操の無さも小国故の必死の処世術なのだと思います。
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